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天才外科医の神技に密着
『ホワイト・ジャック』と呼ばれる孤高の医師

日本人の死因、第4位にランクインするもの、それは…脳血管疾患
脳卒中や脳梗塞などがこれに当たり、4年前のデータでは、その年の患者数およそ174万人。 運動不足やストレスなど生活習慣が危険因子となっているため、いつ誰がなってもおかしくはないのだ。

そんな脳外科の世界で『ブラック・ジャック』ならぬ、『ホワイト・ジャック』と呼ばれる男がいる。 世界的脳外科医、佐野公俊(さの ひろとし)、御年79歳。
彼が『ホワイト・ジャック』と呼ばれるのには、いくつかの理由がある。
一つは『ブラック・ジャック』を彷彿とさせる、圧倒的技術力。 なんと脳の手術でありながら、一切、血を出さない手術を行うのだ。

もう一つが、圧倒的成功率。
佐野先生「大丈夫、私は失敗しないから。」
人気ドラマ『ドクターX』の主人公さながらの言葉。 佐野はこの言葉通りの手術を、脳外科医になって半世紀以上実行してきた。
実は、ある俳優も今から9年前、危機的状況であったにも関わらず、佐野によって命を救われたという。 今回、その人物に佐野への想いを手紙に綴ってもらった。
『佐野先生に出会えた事が、私の人生における幸運のひとつです。先生への感謝の気持ちを胸に、いつまでも生きていきます。 新生 中村獅童』
そう、佐野によって命を救われたのは歌舞伎俳優・中村獅童!
そんなリアル『ドクターX』、佐野公俊医師に完全密着! 数々の神業を目撃することになる!

佐野が専門とするのは『脳動脈瘤(のうどうみゃくりゅう)』の手術。
脳動脈の一部が、高血圧・動脈硬化・加齢・体質などの原因により薄くなった事で、風船のように膨らんだ『動脈瘤』と呼ばれる瘤が出来た状態の事を脳動脈瘤という。
これが破裂してしまうと『くも膜下出血』を発症。 約3割が直ぐに死亡、一命を取りとめても半年以内に50%の人が亡くなっている。 しかも、1980年代にMRIが導入されるまでは、破裂する前に動脈瘤を見つけ出すことは、ほぼ出来なかったという。

この動脈瘤の破裂を防ぐため、佐野が行うのが『クリッピング術』
動脈瘤の根元をわずか1センチほどのクリップできつく止め、動脈瘤への血流を遮断し、枯らす方法である。 クリップと小さい塊となった動脈瘤は脳内に残るが、健康上全く問題はない。
佐野はこの『クリッピング術』で多くの命を救い、2000年には、それまでの世界記録が2000件ちょうどだったところ、2007件の動脈瘤手術を行ったとしてギネス世界記録に認定された。 現在ではその数を5000以上に伸ばしている。

現在、愛知県のいくつかの病院、神奈川県の新川橋病院などで、世界中の患者を手術している佐野。
今年10月、そんな彼に救いを求めてきた患者が72歳の小松さん。 健診の目的で受けた脳ドックで動脈瘤があることが分かったという。

MRIで動脈瘤が2つもある事が判明。 しかも、大きい方の動脈瘤は、一部がさらに飛び出ている事が分かった。
佐野先生「こういうふうに飛び出しているところがあるっていうのは、動脈瘤が薄いということ。風船でもぷぅーと飛び出すと薄いからこれは案外破けそうな動脈瘤だろうと思う」
脳動脈瘤は、通常自覚症状が出ないため、定期的に脳ドックなどを受けないと、見つかりにくい病気だという。

手術当日。 小松さんに麻酔などをした後、いよいよ佐野の手術が始まる。
スタッフ「手術に入る前に、願掛けみたいなことはされるのですか?」
佐野先生「願掛けはないけど、やっぱり神様の手が、自分の手に乗り移ってもらえますようにと思う気持ちはあるよね。常に人の命を相手にしているんだったら、敬虔な気持ちでやらないと。俺の力だというより、半分は神様が助けるべき人を助ける手助けをしているんだというぐらいの気持ちでやっている」

小松さんの動脈瘤は、左こめかみの奥にあるため、頭蓋骨に3.5センチほどの穴を開けて手術を行う。
まずは、小さい動脈瘤にクリップをかける。 この部分が動脈瘤である。 破裂しそうな動脈瘤に血液が流れたままの状態で、その根元にクリップをかけてしまうと破裂するリスクが大きい。 そこでまず、動脈瘤に近い動脈をテンポラリークリップと呼ばれるもので挟み、血流を遮断する。 この動脈瘤は小さいため、クリップが滑りやすいと感じた佐野は、止血用の綿を動脈瘤に貼り、すべり止めに使った。 そして、いよいよ動脈瘤の根元にクリップをかける作業へ。

大きく見えるが、クリップの太さは、わずか0.5ミリ。 もし、少しでも動脈瘤の下の血管を挟めば、血流が悪くなり麻痺などの後遺症が出る。
クリップを完璧にかけることに成功。 テンポラリークリップをかけてから、わずか1分の出来事。

そして、テンポラリークリップを外し、今にも破けるかもしれない、2つ目に挑む。
ここも、まずテンポラリークリップで血流を止める。 時間を気にする佐野。 実は動脈を遮断すると、脳全体へ行き渡る血流が止まるため、10分以上経過すると麻痺が出るリスクが格段に高くなるのだ。
佐野先生「一時遮断しても5分は絶対大丈夫だから。10分は怖いんだよね。だから5〜6分であれば、まず問題ない」

佐野が自らに課した時間は、5分
次に、血管と動脈瘤の境目である、根元の位置を見極めるが、佐野は短時間で判断できるという。 これも、神業の一つ。
そして、先の曲ったクリップを使い、動脈瘤だけを挟む。 しかし、手前には1ミリにも満たない細い血管があり、これを挟んだり、切ったりしないようにしなければならない。

3分でクリップをかけ終えたと思ったその時! 佐野曰く、わずか0.1ミリほど、クリップの掛け方が足りておらず、動脈瘤への血流を完全に遮断出来ていないという。
佐野先生「今何分?」
看護師「今4分30秒です」
彼が自らに課した時間は5分、残りわずかしかない。

10分以上、テンポラリークリップで動脈の血流を遮断すると、麻痺を引き起こす可能性が出てくる。
そこで佐野は、テンポラリークリップで遮断している動脈は柔らかいと見抜き、もう一度クリップをかけ直しても血管は損傷しないと判断。 脳の血流を一旦戻すことに。

そして再度、テンポラリークリップで血流を遮断。 一度外したクリップを、もう一度、動脈瘤の根元にかける。リスクを考えるとやり直しは出来ない。
先ほどよりも、クリップが奥までいっている事が分かる。

手術翌日、小松さんの診察を行った佐野。
特に問題はなく、その後、小松さんは退院となった。

中村獅童を始め、多くの命を救ってきた脳外科医・佐野公俊。
自宅があるのは愛知県。 では、神奈川県の病院にいる時は、どうしているのか?
なんと、いつ何が起きても対応できるよう、病院の空いている特別病室で寝泊まりしているのだという。 このように多くの時間を仕事に捧げてきた佐野。 そんな彼はどのような医師人生を送ってきたのか?

1945年3月11日、東京大空襲の翌日、東京都板橋区の防空壕で産声を上げた、佐野。 実家が時計を扱う店だったため、仕事道具であるピンセットやルーペが、佐野の遊び道具であった。
佐野先生「3歳か4歳の頃からお店にあって、そのピンセットで何か作ったりね。刃物などにも触っていた。そういう点では、子供の時から手を使っているというのは、手先が器用になるから絶対いいと思うんですよね」

母方の祖父や叔父など身内にも医者が多かったことから、自然と医師になることを志していたという。
佐野先生「考えることも嫌いじゃないんだけど、手先が器用だったもんだから、そういう意味では外科の方がいいなと。ただその頃、脳神経外科っていう、頭開けるとみんな死んじゃうような時代だったんですけどね。だから叔父たちには脳神経外科みたいなところ行ったってしょうがないよと言われたんだけど、逆に開拓者になってやろうと思って。」

『開拓者になる』…その想いを胸に脳神経外科の道に進んだ佐野は、医学実習生の時にある物と運命的な出会いを果たす。 それが佐野の神業を生み出す、大きな原動力となったのだ! 今では当たり前となった『あるもの』とは!?
それは…耳鼻科で使用されていた、顕微鏡
当時、脳外科用の顕微鏡は海外では数台使われていたものの、まだ日本には導入されていなかったという。

佐野先生「耳鼻科では、鼓室形成で顕微鏡っていうのを使っていた。それを見て、頭の中で顕微鏡を使うといいんじゃないかと思った。携帯顕微鏡を作っている会社があって、軽自動車1代分くらいの値段だったんだけど、それを月賦で買って練習した」
その日から、操作に慣れるため、毎日、顕微鏡下で手を動かす練習を開始。 さらに、手術では両手を使用するため、利き手ではない左手で食事をするなど、手術に必要な自主トレを毎日欠かさず行ったという。

一刻も早く顕微鏡を使った手術で患者の命を救いたい…そう決意した佐野はなんと手作りで手術用顕微鏡を制作!
こちらが、実際に佐野が作った顕微鏡の実物である。

佐野は教授に手術の際、自作の顕微鏡を使ってみてもらった。 だが、顕微鏡を通すと実際より何倍も大きく見え、距離感も掴みづらいため…
佐野先生「よく見えるんだけど、手を動かそうとするとね、『先生そこ目玉です!』なんていうとさ、『え!?』って言って、どかそうとするから『いや、顕微鏡の方が見えますから』って言ったんだ」

すると、教授に「上手くいかんな。君がやってみろ」と言われた。
ここで佐野は、毎日の練習の成果を発揮する。
すると、脳神経外科になって1年目からほとんどの手術をまかされるようになった。

そして、今から48年前。 日本でも数台しかなかった脳外科用の顕微鏡を導入した、愛知の現・藤田医科大学病院に移った。
そして、年間の手術数が250件だったのを、翌年には350件ものを行ったという。 そして、顕微鏡を使用したクリッピング術の腕も磨いてきたという。
すると、研修医に「すごい先生は『ブラック・ジャック』みたいですね」と言われ、佐野はこうこたえたという。 「『ブラック・ジャック』は無免許だけど、僕は免許を持っているからね。あえて言うなら『ホワイト・ジャック』かな」
こうして『ホワイト・ジャック』の異名がついた佐野は、その後も、多くの患者の命を救ってきた。

だが…『絶対失敗しない』とは言い切れないほどの難手術が、佐野を待ち構えていた!
その患者は、73歳の江渡(えと)さん。
江渡さん「自分の家で一過性の貧血を起こしまして、転んじゃったんですね。それで頭を打って近くの病院に救急車で行って、それでMRIを撮っていただいたら、動脈瘤が見つかった。」

転倒した事で動脈瘤を発見出来たのは、幸運であった。 江渡さんの動脈瘤は、直径およそ1センチと、通常よりもかなり大きい。
さらに…江渡さんの動脈瘤は『中大脳動脈』という箇所に出来ている。 そこから、脳の深部に酸素や栄養を送り届ける『穿通枝(せんつうし)』と呼ばれる太さ0.4ミリにも満たない血管が出ているのだが、彼女の動脈瘤は、その血管に覆いかぶさるように垂れているため、穿通枝が隠されている状態になっていた。 万が一、動脈瘤に取り付けるクリップで穿通枝も挟んでしまった場合、脳の深部に血液が行き渡らなくなり、脳梗塞を引き起こす可能性があるのだ。

そして、手術当日。 午前10時、江渡さんが手術室に向かう。 いよいよ『絶対失敗しない』とは言い切れない難手術が始まった。
まずは動脈瘤への血流を止めるため、テンポラリークリップをかけるのだが…テンポラリークリップをかける血管が真っ黄色に変色。 これは『動脈硬化』を意味する。
これにクリップをかけると、血管の壁に沈着したコレステロールなどの固まりである『プラーク』が剥がれ、それが穿通枝などを詰まらせ、麻痺を起こす可能性がある。

しかし、血流を遮断しないと、動脈瘤の根元にクリップを付ける事が出来ない。
佐野は、プラークが剥がれないよう慎重にテンポラリークリップをかけることを決断。 第一段階は成功。

ここで経験豊富な佐野だからこそ成せる、神業を発揮する!
なんと『バイポーラ』という電気メスで、動脈瘤を焼いて水分を無くし小さくするというのだ。 動脈瘤に直接触れることになるので、当然、破裂するリスクが高くなる。 そのため、他の医師は考えもしない方法だった。 しかし佐野は、子どもの頃から鍛えられた繊細な感覚で動脈瘤を直接焼くことが出来るのだ。

そして、わずか1分で動脈瘤を半分ほどに小さくした。
こちらが焼く前と焼いた後の動脈瘤。 いかに、小さくなっているのかがお分かりになるだろう。
動脈瘤が小さくなれば穿通枝を確認することができ、安全にクリップがかけられる。

しかし、佐野が自らに課した時間は5分。 この時点で3分経過している。
脳の深部に酸素などを送り届ける穿通枝を、クリップで挟まないよう、止血用の綿で奥に押し込んだ上で、動脈瘤の根元にクリップをかける。 見事、成功。
この時、4分30秒が経過。 しかし、佐野はテンポラリークリップを外そうとしない。 一体、どうしたのか?

実は、動脈瘤の根元が大きく、クリップ一つでは、奥まで挟み切れず、違う角度からもう一つクリップすることを考えていたのだ。 しかし、佐野に残された時間はあとわずか。
2つ目のクリップもかけることに成功。 すぐにテンポラリークリップを外す。
時間は、6分11秒。 佐野が自身に課したのは5分だが、一般的には10分以内であれば問題ないとされている。

ただ、穿通枝をクリップで傷付けていたり、動脈硬化のプラークが剥がれたりして、麻痺を起こしている可能性がある。
佐野先生「MEPお願いします」
MEPとは、神経に電気信号を送り、麻痺が出ていないかを確認する機械のこと。 結果は!?
どこにも麻痺は出ていなかった。 見事、難手術を成功させた佐野。

その後、江渡さんは無事に退院する事が出来た。
江渡さん「家に帰って元気にしております。助かりました」

最後に佐野に、こんな質問をしてみた。
スタッフ「先生は、医者という仕事はどういうふうにあるべきだと思っていますか?」
佐野先生「やっぱり自分がやってもらいたいような治療をする医者。患者さんになった時にちゃんとやってもらえるような。それでどんな時でも手を抜かない」

Fuji Television Network, Inc.出典